ドラマ『カーネーション』

 本日最終回を迎えた、朝のテレビ小説です。
  実は私、NHKの朝ドラをこうやって毎朝見るのは、ほぼ初めてのことでした。 それだけはまってしまったわけですが――理由はいろいろあると思います。
 まず、言葉がとても身近に感じられたこと。
  主人公たちが話す岸和田弁は、和歌山県北部の言葉ととても似通っていて、住んでいるのは南部とはいえ、けっこうフツーに 耳にする言葉でして、それをドラマの主人公たちが話している、というのがすごく近い感じでした。
  それから、主人公の前向きでやや無謀でさえあるような性格。
 私は、自分がわりと後ろ向きな人間なだけに、そういうタイプの女性キャラには強く惹きつけられる部分があるようです。
  そして、以前私が婦人服の店に勤めていて、そこが昔はオーダーメイドの服を扱う店だったこと。
  たぶん、この三つが、一番大きな要素だったのではないかと思います。
  とはいえ、それらはきっかけにすぎず、結局最後まで見てしまったのは、脚本の妙と役者さんたちやスタッフの方々の物語を 作る力のすごさであったのかもしれないなと思います。
  さて。
  糸子のすごさは、自分や子供たちの力というか、能力を強く信じている、ところだと私は思います。
  洋裁屋を始めるまでもそうでしたけれど……。
  私が一番すごいなあと思ったのは、大きくなった子供たちが、進路を決めるあたりですね。
  世間一般の親はまずここで、才能の有無を問題にすると思うのです。 「おまえには、そんな才能ないから、普通に大学行ってテキトーな年になったら結婚しろ」とかね、そんな感じで。
  でも彼女は、そうではなくて「おまえはそれをやりきる、やって行く覚悟があるのか」と問う。「覚悟があるならしろ。ないならやめろ」そういうスタンスなんです。
  けどそれは、自分自身もずっとそうやってやって来たからで……その上で言っている言葉なわけですよね。
  このあたりは、こんな人が親だったら、よかったなあと少し思いましたね。
  うちの父親は、私ら兄弟の言うことは全て頭ごなしに否定する人だったので。 糸子にも、その父の善作さんにも、すごいなあって思ってました。
  あと、キャラクターの配置の妙もこのドラマのすばらしさだと思います。
  無鉄砲な糸子の傍に現実的な昌子や恵を配したり、男性の親族のいない三姉妹に北村を相談役として配置したり。
  糸子と奈津とか、糸子と北村とか、とにかく人間関係の配置がすごくよくて、それがまたドラマを進めて行く帆とか風とか舵 の役目をしている気がしました。
 そして、本日の最終回ですが。 いやもう、最後まで見て、完全にやられました。
  私にとってはすごくツボな終わり方だったので、よけいです。 もちろん、最後だけじゃなくて……死んだ糸子がいろんなところにいるよっていうあのシーンにも、ぐっと来ました。
  なんだったかなあ、何かのマンガだったと思うんですけど、「人は死んだらどこに行くの?」との問いに「妻が死んだ時、空 や光や風になって、いつでもあなたの傍にいると言っていた」みたいに答えるシーンがあって、それをふっと思い出しまし た。
  うまく言えないですが、人間は死んでしまってそれで完全に終わり、ではなくて――想いというか愛情?  は、残って行く。 それが、この地球の大気に溶け込んで、今生きている人たちにずっと寄り添って行くんだと……そういうことを、感じました。
  なんというか、今生きている私たちはきっと、同じように生きている人々はもちろんのこと、すでに死んでしまった人たちか らも見守られ、支えられているんじゃないか……そんなふうに思います。
  そう考えると、『カーネーション』というドラマは、最後のサブタイトルどおりの――というか、そこに行き着くための物語 だったのかな、という気もしたのでした。

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