あっという間の1年

年を取ると、時間の流れが早く感じるというけれど、今年は本当にあっという間にすぎたような気がしました。
そんでもって、けっこういろんなことがありました。
まず、スマートブックを買って、グーグル+に参加したり、1年のうち2回も研修で他の都市へ行くはめになったり。
6月にはいきなりひどいめまいに襲われて、食べ物に気をつけるようになったり(今ではかなり、挫折気味だけど)。
長らく書いて来た『神の眠る星』も完結の運びとなりましたし、ペンタブ買って素材サイトを始めたりもしました。

中でも一番大きかったのは、12月のオフ会でしょうか。
日帰りとはいえ、他県まで出るのも本当に久しぶりで、ネットで親しくしていただいている方たちとお会いできたのもうれしくて、楽しい出来事でした。
更に、その余波(?)として、新しい衣類をあれこれと買い込んだりできたのも楽しかったです。

……と考えて行くと、今年は全体として新しいものを買い込んだ年だったかも。
スマートブックをはじまりとして、ウォークマンにペンタブ、パソコンの冷風機も新しくしましたし、衣類もあれこれ新しいのを買って、実は先日、通勤用にするべくバックも新しいのを注文しました。

というわけで、来年はいろんな点で心機一転してこう、前向きに歩き出したりできればいいな、などと思ったりするのでした。

大河ドラマ『平清盛』

先日、大河ドラマの『平清盛』が終わりました。
ということで、簡単ながら感想など書いてみたいと思います。

まず最終回ですが、駆け足ながら清盛の死とその後の人々の様子について描かれていて、そのあたりは歴史を紹介するという点ではよかったと思います。
死んだあとの清盛が、西行と共に残された人々にメッセージを送って回るというのも、悪くはなかったです。
ただ、なんとなく、こういうのって女性の書き手に特有の感覚だなあって気はしました。
あと、最後の方の、宋との交易船に乗る小兎丸の図はなんかこう、ぐっと来るものがありましたね。
全体として、いい最終回だったと思います。

ドラマ全体については、このシーンいるのかと思うようなところもあれば、家族と見るのはちょっとなあと思うシーンもあったことはありました。
それでも、一年間、楽しく見ることができたと思います。
歴史上の人物としての清盛には、全然詳しくなかったので、彼がどんなふうにしてのし上がって行くのかを見るのも、楽しみではありました。
このドラマでは、結局彼が目指したものは頼朝によって受け継がれ、文字どおりの「武士の世」へと形作られて行くわけで、そのあたりも興味深かったです。

あと、主演の松山ケンイチの熱演は、すごかったと思います。
私の中にある清盛のイメージは、以前に同じ大河の『義経』で渡哲也が演じたものだったので、当初、渡哲也よりはるかに若いこの俳優さんが、どうやって老人の清盛を演じるのだろう? と思ったりしていたのですよね。
外観はメイクでなんとかするにしても……なんて。
でも、実際の松山ケンイチの清盛は、役の上の年齢どおりにどんどん老成し、貫禄を増して、「清盛入道」にふさわしくなって行きました。
最後の大往生のシーンなんて、本当にすごいの一言でした。

他の役者さんたちも、それぞれの役柄をとても熱演してらしたと思いますし、平安末期の時代を描き出すための大道具・小道具などさまざまな演出、どれもすごく気合が入っていて、スタッフの方たちの意気込みも伝わって来ました。

視聴率が低いことを、ずっと叩かれ続けていましたけれど、それについては「大多数が良いというものが、本当に良いものなのか?」という疑問が私の頭にはありました。
たしかにNHKは、私たちの払ったお金で運営されていますし、たくさんの人が面白いと褒めたたえるものは、もちろんそれだけ多くの人に対して訴求力があるのでしょう。
けれど、ドラマに限らず、映画でも音楽でも美術でも、「多くの人が支持することはないけれど、良いもの」はたしかに存在します。
なんというか、そうした「良さ」というのは、資本主義的な「売れる=良いもの」という発想とは、別のところにあるんじゃないかと、そんなふうに私は思ったりしました。
もっとも、視聴率が低いからこそ、好き勝手ができたという見方も一部にはあるようですし、夜中に放送されているアニメと同じく、「見たい人だけが見て、萌えてくれればいい」というのもまた、一つの作り手としての姿勢ではあるなあと思います。

ともあれ、一年間、楽しく見ることができました。

オフ会行って来ました。

昨日、12月9日はグーグル+でご一緒させていただいている方たちとの、京都オフ会でした。
全体としては、すご~く楽しかったです。
京都は思っていたほど寒くもなくて、それも私的には大変よかったです。
ただ、列車が……10時過ぎには京都到着だった特急が、事故が発生したとのことで、なんと和歌山駅で2時間近くも止まったままになってしまい、結局、午前中の予定が全部パーになってしまいました(^^;
今考えれば、快速など使ってとにかく天王寺まで出て、そこから近鉄使って京都へ行くとかすればよかったのかもですが、和歌山駅は普段、特急で通過するだけの場所なもので、どこからどう路線が延びているのかも、さっぱりわからず。
ちなみに、事故処理自体は30分ほどで終わったらしいのですが、きのくに線は単線で、特急が玉突き的に止まっていたため、それらが順次発車して動き出すのに、2時間近くかかったのでした。
しかも、車内放送によれば、あのあとの特急は全て運行を取りやめたらしいので、かなりの人が予定変更を与儀なくされたのじゃないかと。
こういうところは、やっぱ田舎の不便さだなあと思います。

それはともかく。
12時過ぎに京都に到着したあと、忍者カフェの最寄り駅で合流するべく、地下鉄で移動、阪急駅構内へ。
ここでは、他の方たちが降りたのとは、別の場所にいた私をオフ会主催者の方にうまく見つけて拾っていただけました。感謝です。

忍者カフェは、とってもよかったです。
食べ物も美味しかったし、途中で見せてもらったパフォーマンス(手品)も楽しかったし、食事のあとに入った迷宮も楽しかったです。
忍者カフェを出たのが、3時すぎですか。
そのあと、伊勢丹に行ってお土産ものなどを物色してから、オープンカフェでお茶しながらおしゃべりを楽しみました。

帰りは、ちょうど同じ新快速に乗る方がいて、その方と予定していたのより1本早いのへ乗って新大阪へ。おかげで、お弁当買ったり、座席取りのため前の方へ並んだりする余裕ができて、大変たすかりました。
実は帰りの特急が時間どおりに動いているか、少し心配していたのですが、そちらは杞憂に終わりまして、たまたま隣り合った北海道から来たという女性の方と軽く雑談などしつつ、8時半ごろには予定どおり、帰宅できたのでした。

ところで今回、何よりよかったと思ったのは、ケータイの電池パックを新しいものにしてあったことでした。
おかげで、特急が止まってから阪急駅で合流するまで、ずっとツイッターでやり取りすることができました。まあ、さすがに帰りはほぼ電池がなくなりかけてましたが(^^;
それでも、古い電池パックのままだったら、きっと行きの途中で電池切れを起こしていただろうし、そうなったら、どうやって合流してたんだろうと考えるだけで、ちょっとぞっとします。

あと、これまでネット上だけでやり取りさせていただいていた方たちと、実際にお会いしておしゃべりできたのは、とてもうれしかったし、楽しかったです。
私にとっても、いろいろと刺激にもなりましたし、ストレス解消(?)にもなった気がします。
ともあれ、ご一緒していただいた方々、本当にありがとうございました。

なんとなく愕然

本日はツイッターでも呟いたとおり、「ニーハイソックスを履いて過ごそう!」を実行している私。
とはいえ、生足ではなく、厚手のタイツを履いて、その上から履いているので、そこそこ温かくはあるのです。
けど、こんな薄着はもう久しぶりだったり(^^;
そのことに、今朝気づいて、ちょっと愕然としました。

今の仕事に就く前ですから、ほんの5、6年前までは私、冬でもパンストに靴下で仕事に行っていたんですよ。
自宅でも、パンストの上から毛糸のタイツとかスパッツを履く程度で。
ようするに、最高でも2枚重ね、だったんです。

それがいまや……仕事の時には大きな声では言えないほどたくさん重ねていますし、自宅でもあんまり変わらない状態で。
何か、年取るってこういうことなのか――と、しみじみと思ったりしたのでした。
たしかに私、もともと冷え性の人ではあったですけれども。

そういえば、先日ネットサーフィンしていて、質問系の掲示板で若い女性の方が冷え性でパンストの上にニーハイソックスを履いていたら、別に会社の規定には違反していないのだけど、他の部署の男性何人かに「それは変だ」と笑われた、私はおかしいのでしょうか? という質問が寄せられていて、何それ? と思ったものです。
いやだって、私にとって、パンストに靴下履くのは学生時代からフツーのことだったので。
しかも、同じ女性がファッション的な面でおかしいとか言うならまだしも(いやまあ、それもむかつきますけどね)、男どもがなんでそこで笑うよ、という。
たぶん、笑った男どもも、あと10年20年したら、ごっつい毛糸のズボン下とか履かないと耐えられなくなって、若い時はこんなものいらなかったのに、と愕然とするんだろうになあ、なんて思うのですけれども。
何より、足腰の冷えの感覚って、年齢が近くても個人差のある話なので、本当になんだかなあと思ったことでした。

それはともかく。
半日ニーハイで過ごしてみて、とりあえずなんとかなりそうなので、ホッとしている私なのでした。
いや、せっかく買ったんだし、来週のオフ会にやっぱり履いて行きたいですものね。

引っ越し完了

ブログの引っ越しが完了しました。
FC2の方のエントリーが少なかったこともあって、思ったよりずっと早く終わらせることができたようです。

引っ越ししたとはいえ、頻繁に更新できるかどうかはわかりませんが……これから、よろしくお願いします。

冬物衣料を新調

 このしばらく、いきなり新しい服がほしくなって、近くの衣料品店やらネット上の衣料品店やらを、うろうろしています。
 考えてみれば、私はもうずいぶん長い間、冬物の衣服を新調していません。
 多くの女性にとってこれはたぶん、信じられないことだろうと思います。
 っていうか、私自身も改めて気づいて、少し驚きました。
 ちなみに、夏物は毎年何着かは新しいのを買っています。なのに、冬物というか、正確には秋から冬にかけての衣料品が、ずっと古いままなのですね。
 なんでだろう? と考えてみて、つまりはコートを着て外出するせいかと気づきました。
 私は普段、外に出る時はバイクで移動します。
 私の住む街には、都会のような市内を縦横無尽に走る列車やバスはありません。いや、走ってなくはないですが、市内全域を網羅しているわけではなく、私の住んでいる地域だと、どこへ行くにもバイク・車・自転車などが必要なのです。
 それで、私は常にバイクというわけなのですが……寒くなると、外出時は丈の長いコートを着用します。
 すると、下に着ている服はすっぽり隠れてしまうので、少々古かろうがどうだろうが、まったく人目に触れることはありません。つまり、あったかくさえあれば、全然問題なし、というわけです。
 ですが、今年の冬はオフ会に参加することになりました。
 そうなると、さすがにあまりに着古したぼろっちい服で行くわけにもいきません。
 それで、新しい服を買うか~という気持ちになり、けっこう長らく冬物を新調してないことに気づき、一気に物欲が増大して、あれもこれも欲しい~となってしまって、今に至るというわけです(^^;
 とりあえず、オフ会用の服はネットで注文して品物が届くのを待っている状態です。
 が、あと寝間着とカーディガンも新しいのがほしいなあと、物色中なのでした。

素材屋始めました

 ぐぐるたすの方では頻繁に記事を上げたりしてますが……今月から素材屋を始めました。
 文字書きがなぜにいきなり素材屋……という感じですが(^^;
 自分的には、以前からやっていた写真サイトの中の素材コンテンツを独立させた、というのが本当のところです。
 といっても、写真サイトの中でやっていた時は、写真を加工したものがほとんどでした。が、今月から始めた素材サイトは、絵がメインというか、自分で描画したものを中心にして行く予定です。
 これは、以前から使っていたフリーのペイントソフト「Pixia」の詳しい使い方がわかったり、専用のペン先やテクスチャなどを配布しているサイトさんの存在を知ったことが大きいと思います。
 というのも、以前はこのソフト、アナログで描いた絵にざっくりと色をつける時にぐらいしか使っていなかったんですが……レイヤーかけて使う方法とか、元から入っているペンデータやテクスチャを使う方法が、よくわかっていなかったのです。
 が、使い方がわかって、いろいろやってみたくなり、今月にはとうとうペンタブまで買ってしまいまして、素材作りを始めたというわけです。
 さて、では素材の方はどんな感じがいいだろう? と考えて、とりあえずゴシックとか幻想的とか、ダークとか、そんなキーワードで現されそうなものを作って行こうと決めました。
 写真サイトの方自体が、ダーク系を目指していましたし、書いている小説もファンタジーだったり、天使と呼ばれる兵器が登場するものだったりするので、それなら、自分自身のサイトや作品で使えそうなものから始めてみるか、ということで。
 とはいえ、初心者も初心者なので……とりあえず今は、ネットであれこれ素材の作り方やら、絵の描き方やら、検索しては模索しつつ、ぼちぼちと作ってはサイトに作品を上げている状態です。

ドラマ『ぼくの夏休み』

 途中から「タイムスリップ」というキーワードに惹かれて見始めたこのドラマでしたが、最後は「ああ、なるほどな」という感じでした。
 見終わった直後は、「タイムスリップ」というSF的現象から私が想起していたのとはかなり違う最後だったこともあって、ハッピーエンドではあるけれど、なんか物足りないなあという感じでした。
 が、1日が過ぎて、ああでも、これでよかったのかなあとも思うようになりました。
 製作者の方たちがこのドラマで言いたかったのは、まさに最終回の、老人になった和也が口にしていた「何事もないことが幸せ」ということだったのではないのかなあと思うのです。
 今の日本には戦争もなく、治安も比較的良くて、誰もがある程度の生活を享受できる社会です。
 大人にとってももちろん、小学生の子供にとっては、戦争とか犯罪とか身近な人の生死なんて、それこそゲームの中の世界でしかないような、そんな社会でもあります。
 そんな時代に生まれ育って、それがあたりまえだと思って生きて来た小学生の兄妹を、戦時中へタイムスリップさせて、そこで改めて生きさせることで、なんというのか「生きることの大変さ」と「平凡であることの幸せ」を描こうとしたのではないのかなあと。
 まあ、青春編はあそこまでドロドロさせる必要、あったのかなあとは思いますが(笑)。
 でも、火事の中で2人が自分たちがこの時代に来たことについて語るシーンから、最後までの流れはとてもよかったし、ちゃんとそうしたテーマが描けていたのではないかと感じました。
 ところで。
 私がこのドラマを見始めた時に気になっていた、タイムスリップに関する部分ですが。
 ドラマでは描かれていなかったけれど……小学生の和也とはる菜は、一般的にはたぶん行方不明ですよね? だって、いきなり平成の世からは消えてしまったわけですから。
 昔で言うところの「神隠し」って状態だと思いますが……年取った2人は、両親に会いたいとか、そんなふうには思わなかったのかなあ。
 テーマはテーマとして、やっぱりそっち方面も気になってしまう私なのでした。

いろいろ妄想してしまう

 先日から、何度かドラマ『ぼくの夏休み』を見る機会があって、先がどうなるんだろう……とつい、あれこれと考えてしまうようになりました。で、それについて少し書いてみます。
 ちなみにこのドラマは、平成24年の夏、両親の離婚問題浮上で祖父母の家に行くことになった小学生の兄妹がタイムスリップして戦争中に行ってしまい、そこで成長して行くというもの。
 今は20歳と17歳になった2人が、7年間離ればなれになっていたせいで、兄妹なのにそうと知らずに恋愛関係に陥ってしまいそうな状態、なあたりが放送されています。
 もっとも、私が気になるのは2人の関係とかではなくって、最後がどうなるんだろうかってことです。
 オープニングでは、子供時代の2人と今の2人が出て来て、最後に宇津井健と由紀さおりが、2人の年取った姿っぽい感じで出て来るんですよね。
 そこから想像するに、2人はこのまま昭和を生きて、平成24年までたどり着くことになるのかなあとも思うのです。でもそうすると、小学生の彼ら自身ともすれ違うことになるわけで……たとえば、2人が子供時代の自分たちが間違った列車に乗るのを止めて成功したとしたら、彼らは過去へは行かないことになってしまい、老人の2人は消えることになってしまいますよね。
 あるいは、2人が止めても過去へ行く事実は変わらない、という可能性もあります。
 あ、あと、2人とも子供時代の自分たちが生まれる前に死んでしまうという可能性もなくはないですが……これだと、平成24年にたどりつけなかったことになってしまうし、話としてはイマイチ面白くないですよね。
 また、オープニングの映像は関係なくて、2人は20歳と17歳の時点で平成24年へ帰れるのかもしれないですよね。そうすると、今度は青少年のまま戻るのか、途中で子供に(たとえばナルニア国物語のように)戻ってしまうのだろうか、とか……こう、ぐるぐると考えて、どうにも興味が尽きません。
 ところで、私がこのドラマを見て最初に想起したのは、映画『ファイナル・カウント・ダウン』でした。
 この映画は、新造された戦艦ニミッツが乗員ともども過去の時代に飛ばされ、元の時代に戻って来るまでの物語なのですが、登場人物の中に1人だけ、過去に残されてしまう人がいます。そしてこの人物が最後、港に到着したニミッツを老人になった姿で出迎えたところで終わる、のですよね。
 『ぼくの夏休み』の兄妹2人は、私にこの過去に残った人物を思い出させました。
 ただこの映画の場合、戦艦が過去に飛ばされたのは、巨大な竜巻だか暴風雨だかに巻き込まれたせいで、もし彼らが戦艦ごと戻れなかったとしたら、それによる事故で海に沈んだことになったんじゃないかと想像するのですが……『ぼくの夏休み』の2人の場合、現代ではどうなってるんでしょうね。
 同じ時間軸の同じ時点に戻れば、それは2人の中にだけある出来事だけど、このまま時間経過によって平成24年に至るのなら、2人は突然行方不明になったってことになって……いわゆる「神隠し」状態なのかなあ、とも思ったり。
 昼メロなので、このまま兄妹でできあがって、最後は心中なんて結果も想像できなくはないけれど、さすがにそれはないだろうという気もしています。
 だって、そんなオチなら、わざわざタイムスリップさせる必要ないし、オープニングの宇津井さんと由紀さんが意味不明なことになります。
 あと、昨日の放送では、妹の方が相手が兄だと知ってショックを受けていたので、案外これは妹が黙って姿を消して、あっという間に年月が過ぎて、平成24年の自分たちが過去へ飛んだ日のその駅のホームで再会、とかかなあ、などとも想像したりしています。
 平成24年の自分たちを止めるにしろなんにしろ、最終的には過去へ行く列車に乗ってしまったその同じ日の駅のホームへ2人とも行くのじゃないかと。
 それにしても、こんな面白そうなドラマ、録画してでも最初から見ればよかったとちょっと後悔しています。
 ともあれ、最後がどうなるのか、すごく楽しみなのでした。
 

アニメ『Fate/Zero』

 アニメ『Fate/Zero』が先日、最終回を迎えたので、簡単な感想など書いてみたいと思います。
 まず全体としては、「終わった」という感じのしない最後だったなあということです。
 これはたぶん、作品自体が本編が他にあって、その過去編だったから、なのかもしれません。
 また、なんとなくやりきれない感じのする最後でもありました。
 それに関しては、セイバーと切嗣がもうちょっと互いに歩み寄れれば、もっと違う最後になっていたかも、という気もします。
 あの2人は、私にはとても似ているように思えました。
 ただ、どちらも自分の前しか見てない感じというか……切嗣にとってセイバーはきっと、銃なんかの武器と同じだったんだろうなと思うし、セイバーは彼が本当はどんな人で何を考え、何を望んでいるのかを知ろうともしなくて、それではそもそも、手をたずさえることさえできないじゃないかと、見終わって思いました。
 それと、どちらも望みが壮大すぎたのかなあとも。
 世界から争いをなくすことも、一国の民全てを1人の王が導くことも、人が人でしかない限り、無理だと思うのです。たしかに、聖杯のかなえ方もまた、皮肉すぎるとは思うけれど、もうちょっとささやかな望みであれば、2人とも、苦しむこともなく、もう少し幸せだったんじゃないだろうかと思いました。
 聖杯戦争に参加して、一番得るものが多かったのはきっとウェイバーでしょうね。
 彼はなんというか、この先の生き方の指針みたいなものを、ライダーから与えられた気がします。仮の宿だったはずの老夫婦とも、本当の絆ができたみたいですしね。
 一番へたれだったのは、雁夜ですか。
 っていうか、この人が一番偽善者だった気がします。
 自分の本当の想いを隠して――といえば一見かっこよく聞こえますが、ようするに本当の気持ちを相手に告げることが怖くて、でも相手に自分がいかに犠牲を払って「あなたのために尽くしているか」わかってほしいってタイプだったように思います。
 綺礼に利用されたのは気の毒だと思うけれど、最後でメッキが剥がれた感がすごくしました。
 その綺礼は最後は本当の悪人になって、なんかすっきりした感じでした。
 彼とアーチャーが時臣を裏切るあたりは、見ていて「なんてひどい奴」と思いつつも、ちょっとドキドキしました。悪役好きなので、最後の人を人とも思わない部分は、悪くないなと思いました。
 主従の組み合わせで、意外と好きだったのは、龍之介とキャンサーですね。
 いや、周囲の人間からはものすごくはた迷惑な主従だと思いますし、やってたことはもちろん許せないようなことではあります。
 が、互いに互いの嗜好を理解し、これ以上ないぐらい尊敬しあってて、そういう意味ではウェイバーとランサーに次ぐ、いい主従だったと思うのです。
 切嗣とセイバーの間にこの2人ほどの信頼や尊敬があれば、最後は変わってたんじゃないかとやっぱり思います。
 もっとも、このラストだったからこそ、この物語は人気を得、他のファンタジーものとは一線を画す作品となったのかもしれませんが。

またまた放置

 またまた1ヵ月以上、放置になってしまいましたorz
 マンガとか小説とか、ぽつぽつとでも読んでいるので、感想も書こうと思えば書けるのに、なんとなく気が乗らなくて、結局そのままになってしまってます。
 その上、先日からはちょっとバタバタしてました。
 まず、ネット上でちょっとした試験を受けてました。
 本日、ようやく解答を提出して、ホッと一息ついているところです。
 合格すれば、ネット上で文字書きするお仕事を、もう一つ始めることになります。
 それと、またまた職場の研修で他の都市まで出かけるハメになって、行って来ました。
 2月にすごく大変な思いをしたので、次は他の人にお願いと言っていたのに、結局誰も都合がつかなくて、押し付けられてしまったのです。
 なんとか無事に終わりましたが……行って来ても誰も何も言わない。私に押し付けた当の本人も知らんぷりで、ちょっとだけげんなりです。
 っていうか、店長でさえ知らん顔だものなあ。
 なんか、一生懸命やるのがバカバカしいような感じ?
 とはいえ、研修の内容自体は、自分自身のためになることでもあるので、しんどいしむかつく部分もあるけれど、他の人より多く学ぶ機会を得られたのだと思っておくことにします。
 ただ、もっと近場でやってくれればなあ、とは思いますけれどもね。

映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト』

 先日、映画の実写版ヤマトがテレビで放送されたので、見ました。
 その感想です。
 まず、全体としてはなかなか面白かったです。
 映像的にはすばらしかったですし、実写映画ならではのアレンジとかもうまくできていたと思いました。
 ただ、キムタクの古代進は、「古代進」ではなく「キムタク」だなあって感じでしたけれど(^^;
 まあ、この人は何を演じても「キムタク」でしかない部分があるし、内容には合っていたし、演技が下手とかいうわけではないので、これはこれでいいのだろうとは思います。
 森ユキも、オリジナルの彼女とは、全然性格とか違ってましたしね。
 このあたりは、オリジナルのアニメが放送された時代と今との差だと思います。
 もし作られたのがもっと昔なら、誰が演じていようと、オリジナルに近いキャラクターになっていたかもしれないなと思います。
 ガミラス星人とイスカンダル星人、そしてそれぞれの星の設定がなかなか面白かったです。
 ガミラス星人は外観が、なんとなく気持ち悪くてかえって人型にされるより不気味でした。
 精神生命体という設定も、よかったと思います。
 ただ見終わってからふと気づいたんですが……精神生命体なのなら、地球を改造しなくても、人間に寄生するとか体を乗っ取る方向で侵略できたのでは? と。
 たぶんこのあたりは、オリジナルのあらすじはそのままに、設定だけをいじったために起こった矛盾だったのかもなとは感じますが。
 それにしても、沖田艦長と司令長官の嘘には、ちょっとおいおいと思いました。
 まあ、たしかに古代は放射能を浴びても生きていたわけで、彼らはそれを根拠にしたわけではあります。
 また、イスカンダルに放射能除去装置があるというのは、オリジナルからの大前提ですし、結局それを手に入れることはできたわけですけれども。
 それに、彼らの嘘も、悪意からではなかったのはわかります。
 もし放射能除去装置がなかったら、どっちにしても人類は絶滅するのだから、彼らの死も無駄死にとかいう話以前のことで……気持ちはわからなくもないけれど。
 でもやっぱり、うわ~という感じはありました。
 沖田艦長の最後のセリフとか、音楽とかデスラーの声とか、オリジナルのヤマトファンにはうれしい部分もたくさんあって、それもまたよかったと思います。
 ただ「バカメ」の使い方は、違うと思いました(笑)。
 あれはやっぱり、ガミラス艦に対して言わないと(爆)。
 あと、地球としばらく交信できなくなるからと、乗組員全員が地球の家族と話をするシーン、あれはオリジナルの方でもあったけれど、ただ黙って暗い画面を眺めているだけ、というもので、映画同様にちょっとせつないものでしたね。
 ただ、映画の方ではそんなふうに天涯孤独な彼が、ユキと出会い、ヤマトのクルーと出会って、守りたいものを得てあのラストに行き着くといった、自然な流れを描く一つのエピソードになっていたような気がします。
 ところで、映画を見終わってから感じたのですが。
 昔、オリジナルのアニメが有名になったころ、よく「テーマは愛だ」と喧伝されて、終盤の方での古代の「俺たちがしなければならなかったのは、戦うことではなく、愛し合うことだったんだ」というセリフが、その象徴のように取り沙汰されてました。
 でも私は、当時からこのセリフやテーマになんとなく違和感を感じていて、でもずっとそれがなぜだかわからなかったんです。
 そのことを、この映画を見終わった後、考えていて何かちょっとわかったような気がしました。
 「戦う」の対義語は「愛」じゃなくて、「赦す」だって思うんですよ。
 それで、愛のかわりに「赦す」を入れてみました。
「俺たちがしなければならなかったのは、戦うことではなく、赦しあうことだったんだ」
 そうすると、自分的にはすごくしっくり来ることに気づきました。
 「赦す」というのは、相手の立場や心情を理解して受け入れること、だと思うのです。
 たしかに、住環境がまったく違うガミラス人と地球人が、理解しあって共存するというのは、難しいことかもしれません。
 人類の側から言えばガミラスは、いきなり攻撃して来て、地球の環境をめちゃくちゃにした相手ですしね。それを赦して受け入れるというのは、かなり難しいとも思います。
 それでも、そんな言葉が口から出てしまうほどに、戦いは恐ろしく何も生み出さず、むなしいものなのだと――そんなふうに、当時あのアニメを見た自分は感じたのかもしれないなあと、改めて思いました。
 そして、時代的なものもあって、オリジナルのヤマトは、「愛」にしろ「赦し」にしろ、そんな大きなテーマを語るには、ちょっと舌足らずだったってことなのかもしれないな、とも感じました。
 一方、この映画では、案外その「ヤマトのテーマ」と当時言われた「愛」が描かれていたんではないかとも、思いました。
 最後、一人残って敵と対峙する古代の心にあったのは、敵への憎しみでもなければ、彼らを赦したいなんて思いでもなく、故郷を守りたいって気持ちだったように思います。
 そしてでも、それの方が「愛」に近い感じが私にはしました。
 最後、緑に戻った地球で、ユキは古代との子供を育てている、そんなシーンで終わりましたけど、古代が守った地球で、彼らはこの先生きて行くわけですよね。
 それは、古代の愛によって生きている、というふうに私には感じられました。
 ともあれ、思っていたよりはずっと面白く、最後まで飽きることなく見ることができた映画でした。

ブログ名変更など

 あんまり使っていなかったこちらのブログですが、もう少し活用しようと、タイトルを変更してみました。
 これからここでは、日常のこととか、ネット上のこととか、とにかくあれこれ考えたことを、文章にしてまとめて行こうと思っています。
 妄想の垂れ流しのようなことだったり、スピリチュアルというか不思議現象についてだったり、心とか感情の話だったりするかもしれませんが、そして、相変わらず月に一度更新できたらいい方になってしまうかもしれませんが、改めて、よろしくお願いします。
 ドラマなどの感想については、グーグル+の方で<a href="https://plus.google.com/b/102141213116234178932/#102141213116234178932/posts" target="_blank" title="感想ノート">感想ノート</a>というページを作りましたので、そちらにまとめて行こうと考えています。
 また、もう少しリンクなども充実させるというか……いつも自分が楽しんでいるブログや、友達のブログぐらいはリンクしてみようかとも思っています。

小説『田舎の刑事の趣味とお仕事』

『田舎の刑事の趣味とお仕事』(滝田務雄/創元推理文庫)
  ドラマ『刑事 黒川鈴木』の原作です。
  ドラマが面白かったので、興味が出て買って読みました。
  原作も、すごく面白かったです。 黒川と白石のやりとりが、まるでコントのようで読んでいて声を上げて笑ってしまうことが何度もあったほど。
  原作の黒川さんは、ネトゲユーザーで、しかも「初心者でも丁寧に教えてもらえる」という理由から、使用しているキャラは 女の子。 更に成り行き(?)で、プレイヤーの方も女子大生だと偽ってしまってます。
 そんな中、同じゲームに白石の操るキャラがいて、しかも一緒にパーティーを組むことになってしまったりして、黒川さんは 更に大変なことになったりします。
 刑事としての謎解き部分ももちろん面白いのですが、このネトゲユーザーとしての黒川と白石のやりとりも絶品です。
  白石は、もちろん憧れの女子大生コロナが、実は自分の上司だということを知りません。 そして黒川さんは、それを知られないよう、ひた隠しにしています。
  あと、ドラマ同様、黒川さんの奥さんも楽しいです。 ドラマほど登場回数はないのですが、個性的な人物であるには違いなく、黒川さんをふり回してくれます。
 そんなわけでこのお話、謎解き系のミステリーとしてはもちろん、キャラメインの物語としても十二分に面白いと感じまし た。
  ドラマを見た人にも、見てない人にも、オススメの一冊です。

ドラマ『カーネーション』

 本日最終回を迎えた、朝のテレビ小説です。
  実は私、NHKの朝ドラをこうやって毎朝見るのは、ほぼ初めてのことでした。 それだけはまってしまったわけですが――理由はいろいろあると思います。
 まず、言葉がとても身近に感じられたこと。
  主人公たちが話す岸和田弁は、和歌山県北部の言葉ととても似通っていて、住んでいるのは南部とはいえ、けっこうフツーに 耳にする言葉でして、それをドラマの主人公たちが話している、というのがすごく近い感じでした。
  それから、主人公の前向きでやや無謀でさえあるような性格。
 私は、自分がわりと後ろ向きな人間なだけに、そういうタイプの女性キャラには強く惹きつけられる部分があるようです。
  そして、以前私が婦人服の店に勤めていて、そこが昔はオーダーメイドの服を扱う店だったこと。
  たぶん、この三つが、一番大きな要素だったのではないかと思います。
  とはいえ、それらはきっかけにすぎず、結局最後まで見てしまったのは、脚本の妙と役者さんたちやスタッフの方々の物語を 作る力のすごさであったのかもしれないなと思います。
  さて。
  糸子のすごさは、自分や子供たちの力というか、能力を強く信じている、ところだと私は思います。
  洋裁屋を始めるまでもそうでしたけれど……。
  私が一番すごいなあと思ったのは、大きくなった子供たちが、進路を決めるあたりですね。
  世間一般の親はまずここで、才能の有無を問題にすると思うのです。 「おまえには、そんな才能ないから、普通に大学行ってテキトーな年になったら結婚しろ」とかね、そんな感じで。
  でも彼女は、そうではなくて「おまえはそれをやりきる、やって行く覚悟があるのか」と問う。「覚悟があるならしろ。ないならやめろ」そういうスタンスなんです。
  けどそれは、自分自身もずっとそうやってやって来たからで……その上で言っている言葉なわけですよね。
  このあたりは、こんな人が親だったら、よかったなあと少し思いましたね。
  うちの父親は、私ら兄弟の言うことは全て頭ごなしに否定する人だったので。 糸子にも、その父の善作さんにも、すごいなあって思ってました。
  あと、キャラクターの配置の妙もこのドラマのすばらしさだと思います。
  無鉄砲な糸子の傍に現実的な昌子や恵を配したり、男性の親族のいない三姉妹に北村を相談役として配置したり。
  糸子と奈津とか、糸子と北村とか、とにかく人間関係の配置がすごくよくて、それがまたドラマを進めて行く帆とか風とか舵 の役目をしている気がしました。
 そして、本日の最終回ですが。 いやもう、最後まで見て、完全にやられました。
  私にとってはすごくツボな終わり方だったので、よけいです。 もちろん、最後だけじゃなくて……死んだ糸子がいろんなところにいるよっていうあのシーンにも、ぐっと来ました。
  なんだったかなあ、何かのマンガだったと思うんですけど、「人は死んだらどこに行くの?」との問いに「妻が死んだ時、空 や光や風になって、いつでもあなたの傍にいると言っていた」みたいに答えるシーンがあって、それをふっと思い出しまし た。
  うまく言えないですが、人間は死んでしまってそれで完全に終わり、ではなくて――想いというか愛情?  は、残って行く。 それが、この地球の大気に溶け込んで、今生きている人たちにずっと寄り添って行くんだと……そういうことを、感じました。
  なんというか、今生きている私たちはきっと、同じように生きている人々はもちろんのこと、すでに死んでしまった人たちか らも見守られ、支えられているんじゃないか……そんなふうに思います。
  そう考えると、『カーネーション』というドラマは、最後のサブタイトルどおりの――というか、そこに行き着くための物語 だったのかな、という気もしたのでした。

試しに書いてみる

 新しく買ったスマートブックを、ようやくネットにつなぐことができました。
 ということで、その中に入っているライフノートで試しに文章を書いて、ついでにぶろぐに投稿してみようというわけです。
 それにしても、長い道のりだったなあと感じます。
 なにしろ、これを注文したのが2日で、届いたのが5日。
 無線LANルーターを買い直して、それが届いて設置できたのが昨日、11日です。
 実際、最初からルーターも同じところで注文していたら、もっと世話がなかったし、支払いも一括でできたから、楽だったのになと自分でも反省することしきりです。
 そんなわけで、苦労の末に使えるようになったスマートブック。
 これからは、いろいろと活用して行きたいと思います。

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本日は、Amazonプライムにて 映画『きさらぎ駅』 を見たので、感想を書いておきたいと思います。 ネタバレを含みますので、まだ見てなくて見たいと思っている方は、ご注意下さい。