昨日から、ふと思いついたネタがあったので、久々に『仮面ライダー555』の二次作品を書いています。短編なので、すぐに書き上がるとは思いますが。
やおいどころか、本当は考察文にでもした方がいいような、ちょっと変なネタです。
昨日は、母の五十日祭でして、これでともかく一段落だな〜などと終わってから思いつつ、少なくとも私は死者をよみがえらせたいとは思わないようだ……とふと思いまして。
その連想から、オルフェノクという存在について、いろいろと考えてみたりしたのです。その結論として、私が感じたのは「オルフェノクになった人は、誰もよみがえりを望まれていなかったんだなあ」ということでした。
まあ、判断基準は作中で描かれた人々にしかないわけですが……。それでも、木場にしろ結花にしろ、あるいはオリジナルではないけれど海堂にしろ、彼らが死んだ時、周囲の人間は「やれやれ」と安堵し、中にはあからさまによろこんだりした人もいたはずで。それを思うと、オルフェノクってなんだか、因果な存在だなあと感じるのです。
で、そこからの連想でふと浮かんだのが、星野之宣作のマンガ『宗像教授伝奇考』の中の一編『菊理媛(くくりひめ)は何を告げたか』でした。
これは、『古事記』の中の死んだイザナミを連れ戻しにイザナギが黄泉へ下り、彼女の変わりはてた姿に恐れをなして逃げ帰る、という話に登場する菊理媛にスポットを当てたものなのですが……。
古代人が死者がよみがえることを恐れたのは、妄想でも錯覚でもなく、「本当に死者がよみがえる」からであり、そのよみがえった死者というのは、実はオルフェノクだった――というのはどうだろうか、などと考えたわけです(笑)。
まあ、そんなわけで、やおいでもなければ、アクションや巧たちの日常を描くわけでもない……同じ555ファンであっても、そっぽを向かれそうなお話を、思いついて、今書いているというわけです。
書き上がったら、たぶん、来月の更新時にでもアップするだろうとは思いますが。
……ま、究極の自己満足作品、なのかもしれませんね(笑)。
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